其ノ四十三 「薄氷を 渡る世間の 魑魅魍魎(ちみもうりょう)」 2004年 4月15日(木) 」 其ノ四十四 「結果論 知ったかぶりの 根無し草」
今回は二日間をまとめて詠むことにした。 今夜、無事に、本当に無事に三人の人質が解放された。 希望は持ちながらも、不安や焦燥そして様々な中傷の中で ひたすら待ち続けることしかなかった、家族や関係者の気持ち を思えば、本当によかったと心から思う。 今回の事件を通して被害に遭った人たちは皆、人間の素晴ら しい部分と酷い部分を同時に感じながらこの結果を受けとめたの ではないだろうか。 解放後の喜びの会見を見ながら、色んな想いが僕の中を駆け 巡っていた。 もし自分が解放された人質の一人だったら・・・、もし自分がその 家族だったら・・・、もし全てが逆の結果だったら・・・、もし解放され た人間と殺された人間の両方がいたとしたら・・・と。 三人の日本人人質全員が無事に解放され、多くの人々の願 いが通じたことに感動したい一面と、一方ではイタリア人の四人の 人質のうちの一人が殺害され、その理由がその人間がイラクの為 の存在ではなく、アメリカ兵の警備の仕事でそこに存在していたこ とにあったからという、この二つの全く異なった結果が事実としてある ことに、あらためて運命の恐ろしさを感じてしまうのだ。 ギリギリの所で人の命運が決められてゆくのだと思うと、人は何を 信じ何を考えて生きてゆけばいいのだろう。 人間の心に棲む魑魅魍魎な妖怪が複雑に絡み合って人間界 が創られてゆく現実に、人類の明日が不毛にさえ思えてしまう。 僕たちは、今何を学ぶことが必要なのだろうか? 結果が良ければ全てが正しかった訳ではないし、結果が悪ければ 全てが間違っていた訳でもない。 「人事を尽くして天命を待つ」という故事がある。 尽くした「人事」が最善だったら、下される「天命」が必ずしも最高で あるということではなく、「人事」を尽くす努力を怠れば、下される「天 命」を待つ資格すらないということで、「人事」を尽くすことに最大限の 努力をすれば、来たるべき結果を謙虚に前向きに受け止める心の 準備ができるということだと思う。 そしてそこには「結果」に対しての「結果論」はないわけで、あるのは 「結果」に対しての謙虚な総括と分析があるだけだ。 果たして今回の人質事件に日本政府はどれだけの「人事」を尽くし たのだろうか。そして「天命」を待つ準備はあったのだろうか。 まだ新たな二人の拉致された日本人の消息が判らないでいる現実 はあるが、これから展開されるであろう「自衛隊を撤退させなかったこと は正しかった」的な、政府筋の「結果論」が、「結果よければ全て善」と いう、やみくもな「根無し草」のようでなければいいのだが・・・・・・。 落合ドラゴンズが開幕以来とても興味深いゲームを続けている。 新人監督の落合采配が「正しかった」「間違っていた」と、ひとつひとつ 取り沙汰されているが、僕は彼の采配に心からの敬意を感じている。 おそらく采配下にいる選手達の監督への強い信頼は強いのではない だろうか。自分が起用した選手を信頼し選手のモチベーションやプライド を、とても大事にしているのが手に取るように判り、その結果の全てを前 向きに監督自身の「天命」として受けとめているに違いない。 開幕以来、起用した選手を人前で責めた談話を耳にしたことはない。 「結果」が失敗に終った選手と真剣に向き合って「総括分析」をしている 監督の姿が目に浮かぶ。そしてもう一度いや何度でもその繰り返しをして ゆくことこそが選手を育て、選手の持つ潜在能力を形にしてゆけるのだと 確信している「落合オレ流論」がそこにあるのである。 人の上に立つこと、リーダーシップを持って集団を引っ張って行くこと、そこ にはリーダーたる人間の強靭な哲学が必要とされ、それこそが新しい時代 を生き抜く集団に結実させてゆくことを可能にするのだろう。 僕は今、立場は全く違うが、「落合博満」と「小泉純一郎」の二人の 「リーダーシップ・采配」にとても注目している。
[←前へ][次へ→] [トップページへ]
©2002-2004 C-AUGMENT CO.,LTD All rights reserved.