其ノ八十六 「生きる価値 死を超越(こえ)てこそ 活きた跡」 2004年 5月29日(土) 其ノ八十七 「本物の ジャーナリズムは 今何処(いずこ)」 2004年 5月30日(日) 其ノ八十八 「ダービーは 馬の世界じゃ 大晦日 」
二人の日本人ジャーナリストが襲撃され殺されてしまった。 橋田さんとその甥の小川さん、テレビでのイラクレポートでは お馴染みのジャーナリストだった。 戦場を訪れて、その最中の空気を透明な目線で伝えること を信念にしていた彼らはメディアでの評判も高かった。 実際の戦場で生きなければならない一般の人々の恐怖と、 その営みを、出来るだけ正確に伝えることが、戦争のもたらす 意味が明確になると信じていたのだろう。 橋田さんはいつも明るく屈託のないユーモアに溢れていた人 だった。それだけに、本当に運命の残酷さを恨みたい気持ちで ある。訃報を聞いた橋田さんの奥様の素晴らしく気丈な応対 に胸が熱くなってたまらない気持ちになってしまった。 きっと普段から、背中合わせに在る『死』に対しての強い覚悟 がご夫婦の間で暗黙のうちにひとつの悟りとなっていたのだろう。 橋田さんにとって『死』よりも怖いのは、『戦争』がもたらしてしま う『ヒューマニズムの破壊』だったのだろうか。 自らの命を神に捧げて、自分の天命として、戦場における人間 を人間たらしめないその悲惨さを、不幸を、世界中の人間に伝え ていこうと考えてこられたのだと思う。 でも、もう彼はいない。 判明不可能なまでの自らの遺骸を残して逝ってしまった。 嗚呼 合掌! かつて、これほどまでの「真のジャーナリズム論」が論じられた戦争 はあっただろうか。自衛隊の派遣以降、敷かれた報道規制や、取 材の不自由に、大手のマスコミはどこも腰を引いてしまっていた。 それだけに、橋田さんたちのようなフリージャーナリストが戦場の真実 を伝えるのに大きな役割を担わざるを得なかったのだろう。 ジャーナリズムが権力の手先になってしまったら、日本のあの戦時 中と同じになってしまうのだ。 アメリカでは、権力側を大いに監視し牽制する機関としての「ジャ ーナリズム」が健在である。ブッシュも最早その立場は「風前の灯」 寸前であるのだ。何が正しくて何が間違っているのか、国民は出来 るだけ厳しく見つめていかなくてはならない権利と義務があるのだ。 「小泉」に楯突くとバッシングを受ける今の日本は間違っている。 今こそ真の『ジャーナリズム』を『ジャーナリスト』の正義によって取り 戻して貰いたいものである。 さて、日曜日は『ダービー』だった。 『ダービー』は競馬に携わる人々にとっての大晦日だそうだ。 競馬界の人々は、『ダービー』によって一年を締め括るのだそうだ。 そんな大切な日は、関係者も朝風呂に入って、身を清めて、競馬場 に向かうということをよく聞く。 なのに、僕はといえば、髭ずらで馬券を買いに行ってしまったのだった。 結果は言うまでもなく『負け』た。 当日の1レースで、ある結果が出た。「マイネル」の冠がつく馬と「藤田」 という騎手が乗った馬が同じ6枠にいて、これらが1・2着になって、6−6 だった。『ダービー』では、その「藤田」騎手が2枠3番に「マイネルブルック」と いう馬に乗って出ていたので、「くさい!」のだった。 そこで、迷探偵は6枠を疑い、そしてその相手に3番を想像した。 6枠には、史上最強馬ともいわれている、「キングカメハメハ」がいて、これ が連に絡むのは間違いないと思い、その相手は3番の「マイネルブルック」 と確信してしまったのだ。 しかし、敵もさるもの、3番ではなくて、3枠を用意したのだった。 しかも3番の「マイネル・・・・」は途中で故障を発生してゴールまで来ること さえさせて貰えなかったのだ。 残念!しかし、レース後の「マイネルブルック」騎乗の藤田騎手の談話が 何かを感じさせてくれたように思えたのは僕だけだろうが、「3コーナーまでは いい手応えでひょっとしたら勝ち負けできるかも・・・と感じたのに残念です」 だって・・・・・。 この馬が勝つ可能性は十分あったのだと思うけど、いかが? 僕が身を清め、粛々とした風情で臨んだなら、きっと「マイネル・・・」も故障 しなかったかもしれないと思うと、「マイネルブルック」に悪いことしたなあと、しみ じみ思えた夜になった。 心構えが大事だなあと改めて思えた一件であったことは事実である。
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